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まずは「意見」を言えることが大事だが、「反応」もヒントにして「意見」を磨くべき

読書感想文・本の紹介

「意見にしか価値はない」。これは、ちきりん著『自分の意見で生きていこう』の中の見出しの一文です。

この意味は、「議論や意思決定の場面において、意見でしか前に進めない」ということだと私は受け取りました。しかし、それでも私なりの「疑問点」や「反論」が湧いてきました。

と同時に、反論するからには、”礼儀”として「自分の意見」を表明したいと思います。

*ちきりん氏は「反論するなら礼儀としてまずは自分の意見を表明しろ」とも本の中で記載しています。

関連記事(『自分の意見で生きていこう』を読んで考えたことシリーズ)

前提(ちきりん氏の主張整理)

まず前提として、ちきりん氏の「意見」に対する主張を確認します。簡単にまとめると、

「意見」を明確にせよ。意見にしか価値はない

ということだと思います。具体的には、以下の順に確認します。

  • ちきりん氏による「意見」と「反応」の定義
  • 「意見」にしか価値はない
  • 「一概に言えない」「例外もある」といった言葉は空しい

ちきりん氏による「意見」と「反応」の定義

ちきりん氏は『自分の意見で生きていこう』の中で、「意見」と「反応」の定義を次のように記しています。

「自分の意見を言う」とは、「自分のポジションをとること」だともいえます。発言によって「その人がどこに立って発言しているか」が明確になっていれば、それは「意見」だといえるのです。

一方、それらしく聞こえても「その人のポジション(立ち位置)がどこなのか、わからない言葉」は、意見ではなく反応に過ぎません。

ちきりん『自分の意見で生きていこう』第2章より

「反応」は、
・他者の意見の否定
・他者の意見への質問
という形をとることが多々あります。

ちきりん『自分の意見で生きていこう』第2章より

このように、ちきりん氏は「意見とはポジションが明確であること」であると定義しており、「意見」以外の全ての要素は「反応」にすぎないと主張しています。

意見にしか価値はない(ちきりん)

次に「意見」にこそ価値があるというちきりん氏の主張です。具体的には、本書の見出しに

意見にしか価値はない

ちきりん『自分の意見で生きていこう』第2章の見出しより

と記載があるように、かなり強烈なメッセージを残しています。

一方で、以下のように「他者の意見に反論するなら自分の意見を言うのがマナーではないか」とも述べています。

誤解のないように、否定も質問も悪いことではないありません。単に、他者の意見を否定するなら、まず自分の意見を明確にするのが礼儀だろうと思うだけだし、意見を表明したいなら、まずは自分の意見を明確にするのがマナーじゃないかと思うだけです。

ちきりん『自分の意見で生きていこう』第2章より

自分の意見を棚上げし、他者の否定や質問ばかりしていても、いつまでたっても「自分の意見」は明確になりません。

常に自分の意見を明確にしている人からすれば、そういう人は「反応はするけど、自分の意見がない人」にしか見えません。それでは意見の表明者からは「議論する価値のない人」として扱われてしまいます。なぜなら議論とは「お互いの意見をぶつけ合うこと」だからです。

ちきりん『自分の意見で生きていこう』第2章より

このように、「意見こそが価値があり、それ以外の反応は価値がない」と言っているようにも受けとれます。これは、ちきりん氏が明確に「ポジションを明確にとっている」ことの表れなのでしょう。

「一概に言えない」「例外もある」といった言葉は空しい(ちきりん)

最後に、議論における「例外」の空しさについて語っています。

「一概に言えない」「例外もある」といった言葉の空しさ

ネガティブな反応に使われる無意味な言葉は他にもたくさんあります。
「一概にそうとは言えない」
「たしかにそうかもしれないけど、でも、例外もあると思います」
(中略)
「一概にには言えない」とか「例外もある」といった言い方は、「へー」とか「ふーん」と本質的にはまったく同じです。

ちきりん『自分の意見で生きていこう』第5章より

たしかに、議論においては「例外」を指摘するだけでは、議論が前に進まないことがよくあります。

会議の場面など、何らかの議論が前提となっている場面では当てはまるでしょう。

反論と私の意見

ここからが主題です。次の内容を書いていきます。

  • 「意見」以外は価値がないのか?「反応」は価値がないものと切り捨てていいのか?
  • 意見を磨くためのヒントとして使える「反応」
  • 「反応」にも価値がある理由(アウトプットまでの過程にも価値がある)

「意見」以外は価値がないのか?「反応」は価値がないものと切り捨てていいのか?

まず「意見にしか価値がない」という点について疑問と反論です。

最初に、「意見にしか価値がない」ということの適用範囲です。私が本書を読んだ限り「議論の場面」や「意思決定の場面」という前提は記されていませんでした。

記していたとしても、この「意見にしか価値はない」と記載があった箇所では言及がないため、あらゆることに当てはまるという前提だと受け取りました。なぜなら、範囲を言及していないからです。

これを踏まえ、この「意見にしか価値はない」に対する私のスタンスは「反対」であり、私なりの意見があります。

まずは反対の理由です。

反対理由① 意見以外にも価値がもたらされことがある

上記でも述べたように、「意見」により価値がおかれるのは、「議論」の場や「意思決定が必要」な場面であることが多いです。逆に、それ以外の日常のコミュニケーションにおいては、自分の意見が必ずしも求められているわけではありません。むしろ、意見には「価値がない」と思う人もいます。

例えば、友達と外食をしている時に「これ、おいしいよね?」「うん、本当においしい!」と会話する時は、意見よりも「共感」の方が価値あるものになります。ちきりん氏のいう「反応」の方が価値ある場合があります。

そのため、「意見しか価値がない」という主張の「しか」という限定部分は破綻します。

他にも、議論の中で「質問や反論」を行う中で、議論のポイントが明確になり、判断基準が浮き彫りになることがあります。会議に参加する全員が「意見」を求められる会議であれば「意見にしか価値はない」ともいえるでしょう。しかし、中には「議論するのは数名のキーパーソン」だけで、他の参加者は「意見(プランや主張)への反論や疑問点を指摘する役割」が求められることもあります。

このように、「意見にしか価値はない」という「しか」という部分には反対です。

反対理由② 意見にしか価値があると思い込むことに弊害がある

次に理由の2つ目です。「意見」のみが価値があると思いこむことで、受け手側が「意見を言う人=エライ、正しい」と受けとるリスク、発信者側が「意見以外の反論は無視していい」と思い込むリスクを挙げます。

受け手側が「意見を言う人=エライ、正しい」と受けとるリスク

まず、受け手側が「意見を言う人」が正しいと思い込み、反論や質問をする「反応」する人々の声を聞かなくなるおそれがあります。これによって、自分の意見を考えられない人になったり、インフルエンサーの言うことは無条件で正しいと思い込んで、高額な商品を騙されて買ってしまうという弊害もでてくるでしょう。

例えば、議論における「反論や質問」として思い浮かぶのが、2ch創設者のひろゆきこと西村博之氏(以下、ひろゆき氏)の発言です。具体的には、以下の発言です。

・それ<明らか>じゃなくてあなたの感想ですよね?
・なんかデータとかあるんですか?

ニコニコ大百科「あなたの感想ですよね」 2022/2/12アクセス

これは、2015年6月22日に放送された「ビートたけしのTVタックル」というテレビ番組での発言です。「ネットに規制は必要か?」というテーマで議論がされていました。規制に反対派のひろゆき氏は、規制に賛成派の評論家の古谷経衡氏に対して上記の反論(質問)を投げかけたのです。相手の意見の確からしさを揺るがす的確な反論(質問)でした。

これらはまさに「意見」に対する反論や質問に値するものであり、ちきりん氏のいう「反応」にあたります。上記の例における主張の正しさは別として、ひろゆき氏のように的確に相手の意見に突っ込むことも、「意見を言っている人がエライ、すごい」と思い込んでしまうとできなくなります。なぜなら、「意見こそ全て」と思ってしまい、反論や質問が無価値と思えてしまうからです。

このように、「意見にしか価値がないこと」をそのまま受けいれてしまうと、情報を受け取る側になったときに、自分の頭で考えられなくなるおそれがあります。

発信者側が「意見以外の反論は無視していい」と思い込むリスク

また、「意見を言う」発信者側が、受け手側からは反論や質問に対して「それは無駄な”反応”なのだから、聞く必要はない。無視していい」と捉えてしまう可能性があります。

このことで、発信者側が「自分の言っていることは全て正しい。なぜなら反応だけしている人たちと違って、俺(私)はポジションをハッキリさせている意見を言っているから」と考えて、極端な意見になることがあるでしょう。自分が気にくわない反論や質問を無視する「傲慢なやつ」になりかねません。

例えば、メンタリストのDaiGo氏の「ホームレスの命はどうでもいい」発言です。

DaiGo氏は2021年8月7日のYouTube生配信ライブにおいて、

「自分にとって必要のない命は、僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい

などと発言しました。この発言に対する賛否は別として、この「意見」に対する「反応」は無視していいのでしょうか。

例えば、「それはおかしい」「許せない!」と「反応」したとしても、それは「意見ではなく反応」として切り捨てるのでしょうか。

もし、「意見以外の反応」を無視してしまった場合、DaiGo氏の発言は「価値あるもの」として正当化されてしまいます。もちろん、「自分は違う。そうではない!」という意見であれば「価値のある」ものになるのでしょうが、だからといって、「意見を言った人」は「反応」を無視していいことにはならないはずです。

このように、発信者側が「意見を言っていない反応は無視していい」と思ってしまうことで、自分の意見を省みないことにもつながってしまいます。

実際にDaiGo氏は、数日後の8月13日に

個人的な感想に間違いもクソもないと思うんで。これは別に個人の意見じゃないですか、それに対して謝罪っていうのは別に…

と語っており、この発言直後には自分の意見に対する「反応」を気にしていないように見えます。

*その後、炎上が大きくなったことでDaiGo氏は発言を謝罪しています

私の意見

最後に私の意見です。

意見にしか価値がないとは言い過ぎで、議論や意思決定を行う場面に限っていえば、意見は相対的に価値が高い。ただし、例外や反論を行うことによって、意見がより洗練されるという意味で、ちきりん氏の言う「反応=意見以外」にも価値がある。もちろん、「反応」は「意見」と比較すると相対的な価値は低いかもしれないが、価値が0とは言い切れない。

このように、私は全面的にちきりん氏の主張を否定しているのではなく、以下の内容を加えた意見の方がより確からしいと思うのです。

  • 「意見」に比較的に価値が置かれるのは「ある一定の条件下(議論や意思決定の場)」に限定される
  • 「意見」にしか価値がないは言い過ぎで、「意見」以外の反応にも価値はある(相対的な価値は低いかもしれないが)
  • 議論や意思決定では「意見」がなくてはならないという点は同意でき、「意見」が価値が相対的に高いという点は否定しない

意見を磨くためのヒントとして使える「反応」

ここからは私の意見に補足です。「意見」を磨くために「反応」はきっかけになるよという話です。

ちきりん氏は「反論や質問」は「反応」にすぎないと言っています。特に「例外」については意味をなさないと断じています。

これを、以下で紹介するトゥールミン・ロジック(モデル)と呼ばれる論証モデルに照らして考えていきます。

トゥールミン・ロジック(モデル)で考えると「反応」も意味をもつ

トゥールミン・ロジック(モデル)(以下、トゥールミン・ロジック)の特徴は、「全てが正しいといえるのではなく、あいまいな面まで含めて考えていく」ことにあります。

そのために必要になるのが以下に紹介する④~⑥の要素ですが、その前に、トゥールミン・ロジックにおける主要な3つの要素を紹介します。

①【主張】:Claim:根拠と論拠から展開される主張
②【根拠】:Data:主張を裏付けている事実やデータ
③【論拠】:Warrant:理由付け。根拠が主張を支えている理由

ちきりん氏は、まず①~③のセットを揃えて「意見」を言えるようになるのが第一だと伝えていると思われます。ここには同意できます。

問題は次の3つの要素です。これらは主張をより確からしくするために使われます。

④【裏付け】:Backing:論拠や根拠に対しての裏付け
⑤【強度】:Qualifier:論理の強さ、定性的な正しさ
⑥【反証】:Rebuttal/Reservation:反証可能性/留保条件=例外

ちきりん氏は「意見にしか価値はない」と主張していることから、④~⑥の補足要素を無視しているように思われます。特に例外を指すリザベーション(リバタル)については

「一概に言えない」「例外もある」といった言葉の空しさ

ネガティブな反応に使われる無意味な言葉は他にもたくさんあります。
「一概にそうとは言えない」
「たしかにそうかもしれないけど、でも、例外もあると思います」
(中略)
「一概にには言えない」とか「例外もある」といった言い方は、「へー」とか「ふーん」と本質的にはまったく同じです。

ちきりん『自分の意見で生きていこう』第5章より

とぶった切っています。

もちろん、ちきりん氏が言うように、「まずは意見と反応を区別する練習」をすることが大切です。しかし、だからといって、ちきりん氏が定義する「反応」に分類されるような

④【裏付け】:Backing:論拠や根拠に対しての裏付け
⑤【強度】:Qualifier:論理の強さ、定性的な正しさ
⑥【反証】:Rebuttal/Reservation:反証可能性/留保条件=例外

が価値がないわけではありません。これらを指摘された場合に、それぞれをより考えることで、自分の意見がより洗練されていくのです。

そのため、「意見」として成立すること「だけ」に目を向けるべきではありません。なぜなら、「意見」は「ゴール」ではなく「スタート」にすぎないからです。

「反応」にも価値がある理由(アウトプットまでの過程にも価値がある)

ちきりん氏がいう「意見にしか価値はない」の適用可能な条件は、明確に本書に記載されていませんが、基本的に「議論の場面」が前提なはずです。これを少し抽象化すると、「アウトプットする場面」とでも捉えましょう。

「意見を表明する場面」=「アウトプットする場面」と捉えた時に、そのアウトプットするまでのプロセスを考えてみます。

例えば、iPhoneです。iPhoneは故スティーブ・ジョブズ氏(以下、ジョブズ氏)の代表作ですし、完成品=アウトプットとしてのiPhoneは相当価値あるものです。

でも、その部品やそれまでの「発明過程」や「製造過程」に価値がないかと言われるとそうではないでしょう。ジョブズ氏はiPhoneの着想前から「もっとシンプルで美しいデバイスはできないか」と考えており、これらは意見というよりも、普段の生活で感じた「反応」からヒントを得たものでしょう。これらの「反応」から生まれた「アイデア」は、価値がないのでしょうか。

たしかに、市場にでるときには、アウトプットとしてのiPhoneにしか価値はないのでしょう。しかし、そのiPhoneが生まれる過程にこそ、価値があるともいえます。

意見も同様です。誰もが納得するアウトプットとしての「意見」はたしかに価値がありますが、他人の目にふれることのない「意見を磨く過程における次のような反応」も、価値あるものと言えるのではないでしょうか。

④【裏付け】:Backing:論拠や根拠に対しての裏付け
→ツッコミ例「この根拠は本当に正しいのか?裏付けはあるのか?」
⑤【強度】:Qualifier:論理の強さ、定性的な正しさ
→ツッコミ例「どれくらい正しいのか。絶対なのか、高確率なのか、いつもなのか?」
⑥【反証】:Rebuttal/Reservation:反証可能性/留保条件=例外
→ツッコミ例「どの条件で成り立つのか、前提としてあるべき条件は?例外はあるか?」

他者がふれる媒体としての「意見」や「作品(または商品)」には、たしかに価値があります。それは明らかです。

でも、その意見醸成(作品誕生)のきっかけとなる「反応」や考える(製作する)プロセスは、よりより意見(作品)を産むという意味で、そのプロセスそのものにも価値があると思えるのです。

まずは「意見」を言えることが大事だが、「反応」もヒントにして「意見」を磨くべき

ここまでの書いたことを踏まえた、私の意見のまとめです。

大前提として、ちきりん氏が主張する

「自分の意見をもつ=ポジションをハッキリさせること」が大事であり、オリジナルな人生に必要不可欠である

という主張は間違いなく大事なことだと思います。完全に同意します。

でも、さらに重要なことは、その「自分の意見」をより「磨いて」「洗練させる」ことではないでしょうか。なぜなら、それが「考える」ことであるからです。ただとりあえず「意見」を言うだけでは誰でもできます。

その意見を磨いたり、洗練させたりするための手段として、トゥールミン・ロジックの要素を考えたり、ディベート的に考えることが有用だと思います。

主張で欠かせない3つの要素

①【主張】:Claim:根拠と論拠から展開される主張
②【根拠】:Data:主張を裏付けている事実やデータ
③【論拠】:Warrant:理由付け。根拠が主張を支えている理由

言及されると主張がより確からしくなる3つの要素(ちきりん氏が「反応」と定義する部分)

④【裏付け】:Backing:論拠や根拠に対しての裏付け
⑤【強度】:Qualifier:論理の強さ、定性的な正しさ
⑥【反証】:Rebuttal/Reservation:反証可能性/留保条件=例外

トゥールミン・ロジックを意識して意見を考えることで、相対的な意味合いでの意見がより確からしくなっていきます。

実際にちきりん氏は、本書の最後の章で「意見を磨くトレーニング」として次のように紹介しています。

練習編「意見」をもてるようになるため4つのステップ」

意見が言えるようになるための4つのステップは次のとおり。
ステップ1:レベルをチェックする
ステップ2:ムリにでも意見を言い切る
ステップ3:自分で自分に突っ込む
ステップ4:言語化する

(中略)

ステップ3:自分で自分に突っ込む
①自分のポジションをとってみる
②反論を10個、書き出す
③反論に反論する
④反論の反論に反論する
⑤最初とは反対のポジションをとってみる
⑥反論を10個、書き出す
⑦反論に反論する
⑧反論の反論に反論する

ちきりん『自分の意見で生きていこう』練習編「意見」をもてるようになるため4つのステップ」より

このように、ちきりん氏がステップ3で紹介している内容の①~⑧は、ディベートの内容そのものです。それを自分一人で行う「ひとりディベートを行え」と言ってるようなものなのです。

この「ひとりディベート」を行うには、必然的にちきりん氏が定義する「反応」と捉えられがちな要素を考えた方が、より確からしい意見になるのは明らかです。

言及されると主張がより確からしくなる3つの要素(ちきりん氏が「反応」と定義する部分)

④【裏付け】:Backing:論拠や根拠に対しての裏付け
⑤【強度】:Qualifier:論理の強さ、定性的な正しさ
⑥【反証】:Rebuttal/Reservation:反証可能性/留保条件=例外

ここまで書いてきたように、私の意見はちきりん氏の「意見にしか価値はない」ということには反対ですが、そこに少しの限定とポイントを付け加えただけでです。それらをまとめると次のようになります。

1.アウトプットの形として「意見」の方が価値があることは間違いない
2.ただし、意見を醸成するプロセスにおける「反応」は、より「意見」を磨くヒントになる
3.初心者は「意見」を成立させることを第一目標にすべきだが、その後は「反応(反論、質問)」をヒントにしつつ、より確からしい「意見」を目指すべき

次のステップ!具体的な行動への落とし込み

ここまでちきりん氏の主張の紹介とそれに対する反論、そして私の意見を紹介しました。

では次のステップとして、具体的にどうしていけばよいかを提案したいと思います。これもちきりん氏が主張する「一つの意見」にすぎず、必ずしも正解ではない点にご注意ください。

「反応」される側=「意見」を言う側

いちいち「反応」に返信したりイライラしなくても良いでしょう。むしろ、その「反応」から自分の「意見」を磨くのはどうでしょうか。「反応」をヒントにして思考を巡らせるのはどうでしょうか。

「反応」として無視してもいいかもしれませんが、ドラゴンボールのセルのように、相手の「反応」も飲み込んで、自分の意見の糧にした方が生産的なはずです。

もちろん、人格攻撃などは論外であり、そういう「反応」は無視すべきです。ひどい場合には警察や弁護士に相談すべきでしょう。

「反応」する側=「意見」に対して反論、質問する側

ちきりん氏が主張するように、「意見と反応」を区別できるようになることが優先です。そのためには、一度冷静になって考えることが大切です。

その上で、次のステップで「意見」を磨くことをオススメします。

  1. トゥールミン・ロジックの6つの要素のどこに自分は言及しているのかを意識する
  2. どこに発信するかをしっかり判断する(SNSなど。自分だけのメモにとどめても良い)
  3. 自分なりに「主張」までつくりあげる(仮でもいいので)。これは①主張、②根拠、③論拠が最低限必要(その反応をヒントにしても良い)

あとがきに代えて(ただし書きと補足)

最後に、補足的なことを書いてこの記事をしめたいと思います。

本記事の留保条件(ただし書き)

この記事ではちきりん氏の主張に対する反論と、私なりの意見を述べてきました。

しかし、ちきりん氏を不当に批判していると思われても困るので、誤解なきように以下の点を記しておきます。要はただし書きだと思ってください。

  • ちきりん氏は「意見だけで生きろ」とは言ってない。あまりにも「反応」だけで生きている人が多いので、意見を表明する訓練をしようと主張したいのだろう
  • ちきりん氏は必ずしも自分で考えた「意見」をネットでさらせとは言っていない
  • 最終的に自分の「意見」に辿り着ければ良いだけで、「反応」がダメとは言ってない

「意見を磨くこと」と「意見の発信場所を選ぶ能力」は別スキル

・自分の意見をもつこと、自分の意見を洗練させること

・自分の意見をどの場所で発信・表明するか

は別問題であり、別のスキルです。

例えば、個人的にTwitterは議論には向かないと思います(議論の材料となる反論や質問はたくさんくるはずですが)。一方で、ちきりん氏が言うように、意思決定の場で「意見」を言わないのは価値がありません。

「意見を磨くこと」と「意見の発信場所を選ぶ能力」は別スキルとして捉えた方が無難ですし、本記事では、後者について特段触れていません。

あえて「反応」を引き出すために浅い「意見」を発信する人もいる

SNS等で「反応」を引き出すための「あざとい」意見を表明する人がいます。あえてロジックの要素を欠く「意見」を発信することで、「ツッコミ」「コメント」「炎上」を誘っているのです。

なぜなら、相手のコンテンツに「反応」する人が多ければ多いほど、相手の「影響度」を高めてしまうことがあるからです。注目を集めることで見にく人が必然的に増えます。このことで良くも悪くもフォロワーが増えたり、企業がそれに便乗して「広告」を出すかもしれません。

また、あえて「浅い意見」を表明する人は、以下のような「反応」がくることも想定済みなはずです。

  • 根拠となるデータは?
  • 例外もあるんですけど?
  • こういう弊害もあるでしょ?
  • これでは解決できない!

もちろん、発信者を応援する意味で「反応」を書いてもいいでしょう。

しかし、自分が発信者側の「意図」を分かってやるのとやらないとでは意味が全く違います。分かってやるのは「ボランティア」かもしれないですし、「趣味」ともいえます。純粋な「応援」にもなるでしょう。

でも、分かってやらないなら、それは「発信者のコンテンツを育てる」ことに「協力させられてしまっている」だけの場合があります。要は「発信者のお金儲けのお手伝い」あるいは「発信者を有名にするために利用されている」とも捉えられます。

それを浪費と思うかどうかは個人差がありますが、後で「騙された」と思わないためにも、発信者側が「意図して浅い意見を言っている」ことがあることは、覚えておいて損はないでしょう。

この記事も「反応」にすぎないという意見についての反論

ここまでお読みいただきありがとうございました。ここまで読んだ方のかには

「あれ?この記事も単なる「反応」ではないか?」
「発信者側(ちきりん氏)の意図にまんまとハマっているのでは?」

と思う方もいるでしょう。

たしかに、『自分の意見を生きていこう」という本に触発されてこの記事を書いているという意味では「反応」です。ちきりん氏の「コンテンツを宣伝すること」に協力させられてしまっていることも自覚しています。

ただし、ここで私が主張している「「反応」を切り捨てるのではなく、「意見」を磨くためのヒントにしよう」ということは、別の次元の主張です。

ちきりん氏の同書タイトル「自分の意見で生きていこう」という次元での主張は同意します。でも、その中身の一部に取り挙げて、新たな解釈を加えていることを試みたのが本記事です。

今回の記事における私の意見は

まずは「意見」を言えることが大事だが、「反応」もヒントにして「意見」を磨くべき

であり、その意見の位置付けは

・総論賛成
・各論の一部の解釈が違う

であると私自身は捉えています。

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