自分に関係ないことって、考えるのことに意味ないと思っていませんか?
実は「自分には関係ないこと」「関係性が遠いと思えること」を考えることのメリットって以外と大きいんですよ。
なぜなら、それぞれのメリットもさることながら、そのメリットを知って実践する人はそう多くないからです。
「自分と関係ないじゃん。どうでもいいよ」「で、それを考えて俺(私)にどんなメリットがある?どんな意味があるの?」とか、考えてしまう人が多いのが事実だからです。
というのも、人間も動物ですから、まずは「生存本能」が第一にあるからです。
要は、自分中心でしか考えられない人が多くなってしまうのは当然だということです。だからこそ、そうではない人=自分以外のこと”も”考えられる人、は貴重な存在と言えます。
かくいう私もどちらかとえば「自分中心」に考えていました。まずは自分が満足しないと他人のことを考える余裕ないよ、と。
でも、ちきりん氏の著書『自分の意見で生きていこう』で指摘されていた「自分と関係ない問題を考える効用」を意識することで、結果的に自分の為にもなることが分かりました。また、同様のことを指摘する書籍や記事があるなと思うことができました。
この記事では、その「自分と関係ない問題を考える効用」を紹介しつつ、なぜ「自分とか関係ない問題こそ考えるべきかの理由」に納得がいったのかを書きます。
自分に関係ないから関係があるのだよ!
前提:ちきりん氏は個人を「内面情報」と「外形情報」に分けて説明
本題に入る前に、ちきりん氏の主張を確認しておきましょう。
ちきりん氏は著書『自分の意見で生きていこう』の中で、個人を識別する情報として次のように大別しています。
- 外形情報
- 内面情報
外形情報
個人を識別する情報には大きくわけてふたつのカテゴリーがあります。ひとつは外形的な情報で、見た目に加え、学歴や職歴など、文字として記録できる情報です。
ちきりん『自分の意見で生きていこう』第4章より
内面情報
そしてもうひとつは、性格や人格といった「見た目や資料では判別できない情報」です。ここではそういった情報を「内面情報」と呼ぶことにします。
ちきりん『自分の意見で生きていこう』第4章より
内面情報はその定義上、他者に伝えるのが簡単ではありません。見た目なら立っているだけで伝えられるし、資料でわかることなら開示するなり配るなりすればよいので簡単です。
ちきりん『自分の意見で生きていこう』第4章より
(中略)
「お互いに心を開き、相手を理解しようという意思をもって一定の時間と空間を共有する」という経験を経ないと、「自分を理解してくれる人」は手に入りません。
(中略)
このように、自分の内面情報を他者に伝えるのは、とても時間のかかるプロセスであり、だからこそ他者からの承認欲求を満たすのは、簡単なことではないのです。
このように、ちきりん氏「外形情報」と「内面情報」に分かれると説明しており、「内面情報」を他者に知ってもらうことは難しいと語っています。
この後の説明では「外形情報」や「内面情報」の言葉を使っている箇所があるので、確認しておいてください。
自分と関係ない問題や社会問題を考える効用
それでは、本題である「自分と関係ない問題や社会問題を考える効用」を書いていこうと思います。
1つ目と2つ目が『自分の意見で生きていこう』からの抜粋です。3つ目は私の仮説です。
- 自分を知ることになる(自己の確立)
- 冷静に客観的な視点で意見をつくる練習になる
- 利他性=自分以外の人を幸せにするためのスキルが磨ける
1.自分を知ることになる(自己の確立)
1つ目は自分を知ることになるということです。
書籍『自分の意見で生きていこう』では、「自分に”関係ない”問題を考えることだけが、自分を知ることにつながる」という言及はありません。
ただし、意見を明確にするプロセスが、自我を確立することにつながったと、ちきりん氏自身の経験から語っています。
ではいったいなぜ、私は何十年も自分の気持ちや意見を言語化し続けてこられたのでしょう?
ちきりん『自分の意見で生きていこう』第4章より
(中略)
端的にいえばそれは「自分で自分という人間を理解したい」という欲求に基づくものでした。つまりは自分自身のため、「自我の確立のため」だったのです。
私にとって「自分の意見をもつ」というのは、自分自身と向き合って自我を確立し、ひとりの人格として自立するために、すなわち、大人になるために不可欠な行為でした。
ちきりん『自分の意見で生きていこう』第4章より
これは、ちきりん氏が指摘する自分の「内面情報」を知る方法に最適なのだろうと推測します。
なぜなら、自分を知るために自分についていくら語ってとしても、自分を語るには「自分以外」の存在を語る必要があるからです。
例えば、次のような情報はいずれも「自分以外の情報」について語っています。
- お肉が好き
- ベーシックインカムに反対
- もっと給料を上げてほしい
お肉が好きというのは「お肉」についての意見であり、ベーシックインカムも自分以外の情報ですね。「給料」も同様で、自分ではない会社に対する意見を述べています。
このように、自分について語るには、「自分以外」について知り、意見を持つ必要があると言えます。そのため、「自分以外の問題や事象」を考えることで、「自分の意見」をもつことにつながり、ひいては「自分を知る」ことになるのでしょう。
自分と関係ないと思える問題について考えれば考えるほど、結果的に自分を知ることになるという効用があります。逆に言えば、身近なことばかり考えていたり、インドへ「自分探し」をするために旅にでかけても、自分は見つかるわけではないということです。
もちろん、インドへ旅した場合、現地の経験から社会や国際的な問題について考えるきっかけになるかもしれません。しかし、インドに行ってぼーっとしただけでは自分など分かるはずはありません。
2.冷静に客観的な視点で意見をつくる練習になる
2点目の効用は、「冷静に客観的な視点」をもって考える練習ができることです。この点をちきりん氏は
意見を明確にするための練習には「今のところ自分には無関係なこと」のほうが実は向いています。なぜなら人間誰しも、自分が当事者になってしまうと、冷静かつ大局的に考えることが難しくなるからです。
ちきりん『自分の意見で生きていこう』第5章より
反対に、自分に無関係なことなら感情的にならずに冷静に考えることができるし、手元にある情報も少ないので、考える際の複雑性も高くありません。
と述べています。
たしかにこれはその通りで、自分と関係性が薄いことは冷静に分析できますよね。 また、関係性が薄いからこそ、近視眼的な見方だけではなく、抽象度の高いことまで考えることも可能です。
しかも、正解のなき問題、抽象度の高い事柄は、それを実行した時の影響力が大きいですから、「冷静に客観的に」考える練習することの効果は高いでしょう。
そういう練習を積み重ねるからこそ、自分の身近な”関係あると思える問題”での意見表明と決断に役立つのでしょう。
例えば、進学や就職、結婚、老後などのトピックを決める時がそうです。どうしても焦りや不安などの感情が邪魔してしまいますよね。
だから冷静に考えられる時こそ、「関係ないと思える問題」に対して意見をもつことが大事だと言えるでしょう。
3.利他性=自分以外の人を幸せにするためのスキルが磨ける
3つ目は、利他性を磨けるということです。これは社会学者の宮台真司氏からの着想です。
宮台氏は、著書やインタビューなどで「他人を幸せにすることでしか自分は幸せになれない」と語っています。
この「他人を幸せにする」というのは、自分の損得やメリットばかり考えていてはできないでしょう。要は「自分に関係のある問題」ばかり考えていてはいけないということです。
もちろん、他人を幸せにするというのは全世界の人々を対象にするのは難しいでしょう。
ただ、自分の関係のないように思える問題や事象に思いを馳せ、その解決策やあるべき姿を考えることによって、結果的に身近な他者(家族や恋人、会社の仲間や地域コミュニティなど)に関わる時の態度や姿勢にも影響がでるのではないでしょうか。
このようなことから、自分と関係ないと思える問題を考える効用の3つ目として「利他性=自分以外の人を幸せにするためのスキルが磨ける」を取り挙げました。
自分に関係ない問題こそ考えるべき理由がスゲー納得いった
どのポイントに納得がいったのか
どのポイントに納得がいったのかというと、以下の2点です。
- 自分と「遠い問題」だからこそ、それを考えることの効用があるということ
- その効用がある理由(仕組み)
「自分と関係ないと思える問題」「自分と遠い問題」と思える問題を考えるメリットがあるというのが、まず納得しました。
また、そのメリット(効用)があるといえる理由にも納得がいきました。これについては次の項目で示します。
なぜ「スゲー」納得いったのか
納得した点はその理由付け。「スゲー」という形容詞をつけたのは、私の今までの想定と真逆の考え方だったためです。
それぞれ順に説明します。
理由付けに納得がいった
自分に関係ない問題を考えることの効用は、前に書いた以下の3点だと思います。
- 自分を知ることになる(自己の確立)
- 冷静に客観的な視点で意見をつくる練習になる
- 利他性=自分以外の人を幸せにするためのスキルが磨ける
これら3点が効用になりうるための理由として、以下のような説明があり、納得しました。
- 関係ない問題を考えることでこそ、相対的に自分の内面情報を知れる
- 自分と遠いことがらだからこそ、冷静に見れる(見落しが少なくなり、網羅的に見れる)
「スゲー」納得いったのは、今までの想定と真逆だったから
次に「スゲー」という形容詞をつけた理由です。これは私自身の問題でした。
なぜなら、今まではどうしても「自分に関係すること」や「自分が興味があること」ばかりに目を向けがちだったからです。そのほうが楽ですし、結局は自分のことがかわわいいのでしょう。
つまり、自分にメリットがあると思えるから、「自分に近い」または「自分に関係する」ことばかりに目を向けていたわけです。恥ずかしい限りですが、そういう傾向にあったのだと反省しています。
今回の「自分と関係ないと思える問題こそ考えるべき」というのは、今までの考え方と真逆だったわけです。真逆だったからこそ、「スゲー」納得しました。
同じような主張、参考となる主張がある本や記事
ここからは、参考情報として、同じようなことや関連する考え方が述べられている書籍や記事を紹介します。
田中泰延『読みたいことを、書けばいい』
まず、田中泰延氏の著書『読みたいことを、書けばいい』からの抜粋です。田中氏は元電通で働いていたコピーライターで、現在は執筆活動などを中心に活動されています。本質なことを、ユーモアと愛をを交えながら伝える能力が抜きん出ているなと思える作家さんです。
そんな田中氏処女作となる『読みたいことを、書けばいい』では、自分のことばかり語る人を「つまらない人間」と指摘しています。
つまらない人間とはなにか。それは自分の内面を語る人である。少しでもおもしろく感じる人というのは、その人の外部にあることを語っているのである。
田中泰延『読みたいことを、書けばいい』第3章より
随筆とは、結局最後には心象を述べる著述形式だということは述べた。しかしそのためには、事象を提示して興味を持ってもらわなければならない。事象とは、つねに外部にあるものであり、心象を語るためには事象の強度が不可欠なのだ。
田中泰延『読みたいことを、書けばいい』第3章より
この「内面ばかり語る人」というのは、ちきりん氏がいう「内面情報」ばかり語る人と混同しそうですが、そうではないと思います。
ちきりん氏がいう「内面情報」には、「パンケーキが好き」「この服が素敵」のような個人の好みついての情報は含まれていると思いますが、その他にも、「このパンケーキはもう少し甘さを控えにした方が、高齢者層にうけるのではないか」など「自分の意見」となる情報も含まれていると推測できるからです。
実際に『自分の意見で生きていこう』の中で、次のような言及があります。
アイドルのファッション写真に「意見」を言う人などいるのか?と思われるかもしれませんが、プロのスタイリストなら、そういった投稿を見ても「かわいい!」「すてき!」などと反応するだけでは仕事になりません。
ちきりん『自分の意見で生きていこう』第2章より
(中略)
つまり、意見が言えない、反応しかできないような人が、その分野でプロになれることはないのです。
これらをまとめると、自分の「内面情報」のうち、他者に発信して価値のあるものは次のような条件があると言えるではないでしょうか。
- 自分の内面以外の外部について語っていること(できれば事象の強度があると良い)
- 反応ではなく自分なりの意見があること(ポジションが明確であること)
ちきりん「何があなたを表しますか?」
次に、ちきりん氏のブログからの抜粋です。
記事では、個人情報として集められるデータを例として取り挙げられており、「それらの何があなたを表しますか?」と問いかけています。
たとえば、現時点で集められるデータには、下記のようなものがあります。
1)過去一ヶ月分のSuica(ICOCAなど)の記録
2)過去一ヶ月分の電子マネーの使用記録
3)過去一ヶ月分のクレジットカードの使用記録
(中略)
さて、上記はすべて現時点で集められる(集めることが可能な)データですが、このうち、どれとどれを組み合わせれば「あなた」のことが一番わかるでしょう?
また、リアルなあなたには一度も会ったことのないデータサイエンティスト(かつ、プロファイラー)が上記すべてのデータを把握したら、その人がデータから形成する「あなたのイメージ」は、本当のあなたの姿を、何%くらいまで捉えることができているでしょう?
ちきりん「何があなたを表しますか?」Chikirinの日記より 2022/2/23アクセス
この記事では、「外形情報」でイメージできることは一部にすぎないことを疑問系で指摘し、「内面情報」の重要性を浮き彫りにしているのではないでしょうか。
この「内面情報」を知る方法はこの記事では記載がありませんが、『自分の意見で生きていこう』の中ではそれが語られています。
あずあみ「名前をなくしても自分を説明できる人になりたい」
最後に、あるブログ記事を紹介します。執筆者のあずあみ氏は本の著者ではありませんが、鋭い指摘をユーモアをもって伝えることに長けています。
記事の中では、「名前以外で自分を語れるものが強みになる」と指摘されています。
あなたから名前を奪ったら、あなたはどのように自己紹介をしますか。
あずあみ「名前をなくしても自分を説明できる人になりたい」愛と破壊の戦士あずあみ 2022/2/23アクセス
(中略)
自己紹介では、あなたの属する団体名ではなく、あなたを説明しなければなりません。
仕事内容や学んでいることを発表する?それでもまだ足らないですね。
それはあなたの一部ではあるけれど、全てではないからです。
名前を使わずに自分を説明していく過程で、自分に関する様々な情報が明らかになります。
あずあみ「名前をなくしても自分を説明できる人になりたい」愛と破壊の戦士あずあみ 2022/2/23アクセス
私の思考が、外見にまで影響しているのは確かですよね。
あずあみ「名前をなくしても自分を説明できる人になりたい」愛と破壊の戦士あずあみ 2022/2/23アクセス
ということは、やっぱり私を作る根源は思考なのだろうと思います。
「もし、名前をなくしたら」と考えることは、「自分を作る思考」の洗い出しに最適なのではないでしょうか。
要はちきりん氏がいう「外形情報=見た目に加え、学歴や職歴など、文字として記録できる情報」ではなく、「内面情報=性格や人格といった『見た目や資料では判別できない情報』」を語れる人になろうということでしょう。
そのためのアプローチとして「自分の名前をなくして自分を説明してみる」という方法はおもしろいですね。
損得勘定なく考えられるのが理想なのかも?
さて、ここまで自分以外の問題を考える効用を紹介し、なぜ私がそこに納得したのかを書いてきました。
書いてみて思ったことがあります。
それは、
メリットがあるからという理由だけで考えるってのはおかしくないか?
ということです。
つまり、こういうことです。
「メリットがある」から「自分と関係ないと思える問題は考える」というのは、「メリットがない」と思ったとしたら「自分と関係ないと思える問題は考えない」ことになる。逆にいえば、損得感情があってはじめて「自分以外のことを考える」という図式です。
そのため、損得勘定を抜きにして、他者のためにあるべき姿や解決方法を本気で考えるというのが一番ではないか、ということです。これは「内発性=ヴァーチュー」に関わると思います。
内発性とは内から涌く力のことで、社会学者の宮台真司氏は次のように示しています。
損得勘定である〈自発性〉と、内から涌く力である〈内発性〉の峻別は、紀元前五世紀前半の初期ギリシャに遡ります。
宮台真司「「ドイツ哲学的人間学と最先端の社会科学」の後編です(前編と中編に続きます」MIYADAI.com Blog 2022/2/23アクセス
(中略)
この「内から涌く力」をラテン語でヴィルトゥス、英語でヴァーチューと言います。「美徳」と訳されがちですが不適切です。損得勘定と区別されるものだから「内から涌く力」ないし〈内発性〉の訳が適切です。
このように、損得勘定を抜きにして「内から湧く力」として「自分と関係ない問題も考える」ことが、目座右べき理想ではないでしょうか。
例えば、自分の子供がいじめにあった時に、自分の子供やその学校だけの問題を考えるだけではなく、同じような境遇の子供たちや親たち(子供がいじめに合っている親)や社会について考える。このことで、損得勘定を抜きにして、「困っていたら助けたい」「同じような人を不幸にしたくない」という思いがあることに気付くかもしれないからです。
とはいえ、そうはいっても問屋はおろさない。自分以外のことを「自然に」「内から湧き上がる思いから考えよ!」というのは難しいでしょう。実際に私もそうです。
そのため、まずは「メリット」というアメがきっかけでもいいから、自分の外を考えることを通して、自分以外のことを考える練習をはじめることが大事なのではないでしょうか。
今回の記事では自分以外のことを考える「メリット=効用」として以下の3点を言及しています。
- 自分を知ることになる(自己の確立)
- 冷静に客観的な視点で意見をつくる練習になる
- 利他性=自分以外の人を幸せにするためのスキルが磨ける
これは私なりの意見なので、上記以外のことでも、自分なりの意味を見出すのもありだと思います。
まずは、「メリット=損得感情」を意識しつつ、「自分に関係ない問題こそ考える」ことをはじめる。慣れてきたら、自然とそのような考え方ができているかチェックする(内発性なのかどうかのチェック)。
このように、二段階でもいいので、「自分に関係ない問題こそ考える」ことをはじめてみはいかがでしょうか。
ここまで読んでくれたあなたが、「自分に関係ない問題こそ考えるべき理由がスゲー納得いった」のであれば、これほどうれしいことはありません。
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