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なぜ『自己成長』という言葉は違和感を生むのか? — 言語と行動のギャップを考える

コラム

「自己成長したい!」という言葉は、就活などで避けられるべき表現として紹介されることがある(例: 就活のNGワード)

一見ポジティブな意味を持つ言葉だが、文脈や使い方によっては聞き手に違和感や反感を与えることがある。

これは単に言葉の問題ではなく、言語と行動の不一致が生む心理的違和感に根ざしているのではないだろうか。

「人は言葉と行動の間に矛盾があるとき、認知的不協和を感じる」と心理学では言われる。このズレが大きいほど、不快感や違和感が強まるという研究もある(心理学的な成長と不快感の研究例)

「自己成長」という言葉に違和感を感じるとき

「自己成長」という言葉自体はポジティブに受け取られることが多いが、他者へ発信する際には違和感を感じる人も少なくない。

ここで言う「自己成長」というのは、他人に向けて

自己成長したいんだよね!

とアピールしている人のことを指す。

自分の心の中で成長したいと思うのはかまわない。また、誰かに質問された答えとして発言するのは問題ないだろう。

でも、もし自ら進んで「自己成長!自己成長!」と他人に表現する人は、なぜそれをわざわざアピールする意味があるのだろうか。私は正直、違和感を感じてしまうことがある。

この違和感の正体は何だろうか。私が考える仮説は、「自己成長!」と言っている人に漂う「うさんくささ」だ。

その「うさんくささ」は、そう言っている人の行動が中途半端であることに起因している。

言い換えると、言葉と行動のギャップが大きいときに生まれる違和感こそが、「自己成長」という語が持つ息苦しさの核心だ。

例えば、「自己成長」したいと言いながら、あまり努力しているように見えない人がいる。

たしかに、「自己成長」と口にする人の中には、影で努力している人もいるのかもしれない。

しかし、「自己成長」したいとまわりに発信する必要は果たしてあるのだろうか。なぜ、「自己成長」という言葉を言う必要がないのに発信してしまうのか。

それは、どこかで「自分の成長を認めてもらいたい」という願望が透けて見えるからだ。

本当に「自己成長」したいという人は他人など気にせず、その言葉を不必要に言わない。

そうせずとも、「成長したい」という意志がその人の「行動」から伝わってくるものだ。

イチローが自己成長したいと言っても違和感はない

一方で、「自己成長」という言葉を表にせずともそれを実践している人は多くいる。

その典型が、日米で数々の伝説を残した「イチロー氏」だ。彼のモチベーションは、自己成長にある。

その成長したいと思う分野は、彼の場合は野球だ。ただ彼の場合は、それに加えて、人間性においても成長したいという想いが伝わってくる。

イチロー氏は「成長したい」という言葉こそ頻繁に使わないが、彼の発言からは、「もっとうまくなりたい」「もっと良くなりたい」というモチベーションがあることが分かる。

そんな彼が「自己成長」という言葉を言っても、なんら違和感はないはずだ。なぜなら、その言葉が日々の実践と一致しているからだ。言葉だけでなく行動が伴うことで説得力を生む。

単語そのものの重みというより、行動と言葉の一致が聞き手の違和感を消しているのだ。

また、イチロー氏ほどの結果を残していなくとも、「目標」とそのための「行動」にギャップがない人は、あなたのまわりにもいるだろう。

このような言葉と行動が一致している人が「成長」したいと言ったなら、そこに違和感は感じないはずだ。

「自己成長」という言葉がイタく聞こえないための2つの方法

ここまで考えたことから、次の2つを提案したい。

方法1:言葉ではなく「行動」を先に置く

「自己成長したい」と口にした瞬間、その言葉は他人の評価にさらされる。そして多くの場合、聞き手は無意識にこう考える。

「で、具体的に何をやっているのだろう?」

もしその問いに明確に答えられない場合、言葉と行動のあいだにズレが生じ、違和感が生まれる。

だから順番を逆にすればいい。

「自己成長」という抽象的な言葉を先に出すのではなく、
・毎日何をしているのか
・どんな試行錯誤をしているのか
・何に時間や労力を使っているのか

そうした具体的な行動を語った「結果として」、成長が伝わる状態をつくる。

成長は宣言するものではなく、にじみ出るものだからだ。

方法2:「成長」ではなく、方向を示す言葉を使う

「自己成長」という言葉が持つ違和感の正体は、その曖昧さにある。成長という言葉は便利だが、どこへ向かっているのかが見えない。

だから、「成長したい」という言葉は、聞き手にとって判断しづらい。本人の中では前向きな意思表示でも、まわりから見ると中身が見えない宣言になってしまう。

そこで、「成長」という言葉を使わずに、方向が伝わる言葉に置き換えてみる。

たとえば、
・〇〇を極めたい
・〇〇について深く理解したい
・〇〇の精度を高めたい

こうした言葉には、「何に向き合っているのか」が含まれている。成長という結果ではなく、向かっている方向を示しているからだ。

言葉に方向性が示されていれば、聞き手は行動を想像できる。そして行動が想像できれば、違和感は生まれにくくなる。

人は結果よりも、そこへ向かうプロセスが見えたときに安心することが根底にあるからだろう。

まとめ

「自己成長」という言葉に違和感を感じるのは、その言葉自体が悪いからではない。

問題は、言葉だけが先走り、行動が隠れて見えなくなってしまうことだ。

行動の中身が見えないまま投げられる「成長したい」という言葉は、聞き手にとって評価のしようがなく、違和感として残る。

だからこそ、自分の「成長したい」という欲を、そのまま外に向けて発散するのではなく、まわりからの見え方を意識したうえで、以下のことを試してみることを提案したい。

・成長を語らない
・行動した実績を残してから言う
・方向のある言葉を使う

その積み重ねが、結果として「成長」を形づくっていくはずだ。

そしてその行動を続ければ、あなたがまわりに言わなくとも、誰かがあなたに言ってくれるだろう。

成長したね

と。

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