誰が言うかではなく何を言うか~小説家は無名時代から書いていた~

生き方・オピニオン

「何を言うかではなく誰が言うかが重要」は本当か

何を言うかではなく誰が言うかが重要な時代だから、まずは影響力をつけよ

という人がいる。

でも、その影響力をつけることばかりに気を取られると「影響力はあるのに、発信することは薄っぺらい」という人になりかねない。

もちろん発信する側の人のなかには、発信内容が薄っぺらくても問題ないと思う人もいるだろう。影響力がつけば、内容が薄くてもお金が儲かる確率が上がるからだ。

でも、それは社会にとってマイナスだ。

なぜなら、受け手が馬鹿になるからだ。影響力があるがゆえに、その薄っぺらいコンテンツが多くの人の影響してしまう。

薄っぺらいから、受け手は馬鹿になる。それが重なれば、馬鹿が多くなり、社会が悪くなる。

小説家は有名になる前からコンテンツを磨いていた

ではどうすればいいか。

それは、影響力に目を向けるのではなく、「コンテンツ」に目を向けることである。コンテンツを磨くことだ。

例えば本当にすごい小説家は、人気作家となって影響力を持つ前から、淡々と小説を書き続けていた人だ。自分の腕を磨き続けた人である。

そういう人達は、影響力を持った(有名になった)からすごいのではない。無名時代からずっとコンテンツを磨いてきたからすごいのである。

これは、日本人特有の職人気質とはまた違う。職人のように「自分の腕」だけを磨けというわけではない。もちろん、自分のコンテンツを認知させる営業やマーケティング活動も重要である。

ただ、「影響力をつければ全てが解決する」という短絡的な考え方を持っている人に警鐘を鳴らしたいだけだ。

お金欲しさ、有名になりたい一心で影響力をつける浅ましさ

「影響力を上げる=営業力やマーケティング力を高めればいい」ことばかりに目をくらむ人は、おそらく手っ取り早く「結果」が欲しいからだろう。

その「結果」の中身は、お金を得ることや有名になることがその例だ。

でも、手っ取り早く「結果」を出したところで、その「結果」は長続きするだろうか。

最初のうちは満足させられるかもしれない。だが、同じような内容ばかりのコンテンツだと、受け手もだんだん飽きてしまう。しかも、受け手の中の鋭いことに気付く人もいる。「お金が欲しいだけ」「有名になりたいだけ」のコンテンツに、「浅ましさ」を感じて敬遠する人もでてくるはずだ。

だから、薄いコンテンツはすぐにウケるかもしれないが、それをより濃いコンテンツにしなければ、長期的には飽きられてしまう。

「影響力をつけよ」というマーケティングに踊らされるな

何を言うかではなく誰が言うかの時代。だから影響力をつけよ

この言葉は一理あるのかもしれないが、その「影響力をつける方法」を売りたい人達が仕掛けているマーケティングの要素も大きいはずだ。

影響力ばかりに気をとられていると、自分のコンテンツが腐っていくことに気づかない。

また、受け手のなかには「何を言うかよりも誰が言うかを気にする人」もいるだろう。そうすると「何を」をおろそかにしてしまい、「誰が」という影響力に目がくらむこともわかる。

だが、何かのコンテンツを発信する側は、それに迎合してはいけない。

「誰が言うかよりも何を言うか」を意識して、コンテンツを磨き続けることを忘れるべきではない。

影響力は大事だが、コンテンツを磨くことを忘れない

「影響力」と「コンテンツ」、そのどちらも重要だ。しかし、安易に「影響力をつければ何とかなる」と思うのは危うい。

生みの苦しみという言葉があるように、「コンテンツ」を磨くことは大変だ。人は易きに流れるという言葉があるように、「影響力をつければ何とかなる」という安易な道を選びやすい。

だが、長期的な「影響力」をつけて社会にインパクトを与えるには、営業やマーケティング活動だけでは足りない。「コンテンツ」そのものを磨き続けることが必要である。

あなたのまわりが「何を言うかではなく誰が言うか」を気にするようになったとしても、最終的に勝つのは、「誰が言うかではなく何を言うか」を意識してコンテンツを磨いてきた人である。

参考

転職と副業のかけ算」著者のmoto氏(@moto_recruit)も、同じようなことを言及している。

以下の記事に、「誰が言ったかではなく、何を言うか」について学んだと記載がある。

有料noteだが、興味がある方は読んで見てほしい。私は買って読んでみて、非常に勉強になった。

社会派ブロガーのちきりん氏も同様なことをVoicyで言及している。

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