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義務感を感じながらのアウトプットによる弊害

コラム

学んだことはあるんだけど、SNSやブログに投稿するのは面倒だな。

でも、アウトプットすると学習効果が高まると聞くし、どうしようかな。

このようなことを、考えたことはないでしょうか。僕は、あります。

この疑問に対して僕なりに考えた結果を、この記事ではお伝えします。

学んだことをSNSやブログやなどに投稿すると、例えば以下のようなメリットがあります。

  • アウトプット内容をまとめることで、発信者自身の復習になる
  • 伝え方を工夫しようとすることで、文章力が上がる
  • 読む人の役に立つことができ、信頼を得られる

このように、発信するメリットもあります。

でも、発信そのものが「義務」になってしまうと、時には「弊害」もでてくるのではないでしょうか。

本記事では、この「弊害」について触れ、その対処の一例を示します。

図も記載しているので、興味がある部分だけでも読んでいただければ幸いです。

へびりだ
へびりだ

あくまで個人が情報を発信するケースでのお話です。

義務感を感じながらアウトプットするケース

考えたことや学んだことを、SNSやブログ等のインターネット媒体に投稿すること自体は良いことです。発信者は考えが整理されたり、読者は嬉しい情報を受け取れたりします。

でも、発信者が投稿することそのものを「義務」に感じてしまうと、以下のような弊害があるのではないでしょうか。

  • 内容をまとめるプロセスを楽しめない
  • 他者に「ウケ」がいい内容ばかり投稿してしまう。建前的なことしか言えない
  • 周りの投稿と似たような内容になり、オリジナリティが少ない投稿になる

この原因は何でしょうか。

その原因の一つには、他者の目を気にしてしまうことにあると思います。他者に悪く思われなくないという怖れが、投稿内容を無難な内容に変えてしまっていると推測します。

義務感を感じながらアウトプットするケース

例えば、次のケースで考えてみます。

「TwitterなどのSNSに時間を使いすぎるのは良くない。ほどほどにしよう」というネット記事が学びになった場合

この主張に感心し、「たしかにその通りだ」と思ったとしましょう。

この時に「アウトプットが大事だから発信しなきゃ!」という義務感をもってしまうと、受け取った情報を、そのままを投稿してしまうこともあるはずです。

例えば以下のようなTwitterでの発信です。

Twitterに時間を使いすぎるのは良くないんだなと実感。明日からツイートは控えよう。

このツイート自体は特に問題はありません。

でも、発信することの目的が、「情報の整理」や「何かの行動に繋げること」だとしたら、少し物足りないでしょう。

なぜなら、このツイートは「インターネットで見てくれる読者向け」に書いた「建前」の発信かもしれないからです。

発信の目的が、メモとして記録したい、単に発信して頭の中をスッキリさせたい、という場合は問題ないです

投稿するかどうかを後から決めるケース

一方で、投稿する義務感がない場合を考えてみます。

「発信する義務感を持たない」ケースの場合、メモをした後に余裕があります。なぜなら、インターネットで発信することは義務ではなく、選択肢の一つにすぎないからです。

そのため、メモから考えを発展させることや、関連することを調べることもできます。

投稿するかは後から決めるケース

先ほどの例で考えてみましょう。

「TwitterなどのSNSに時間を使いすぎるのは良くない。ほどほどにしよう」というネット記事が学びになった場合

義務感がないので、様々な疑問点や仮説がでてきたりします。

例えば、以下のようなものです。

  • なぜ僕(私)はこんなにSNSに時間を使っているのだろう。ただ楽しいから?
  • 逆にSNS以外で疲れているからこそ、SNSは癒しの場、ストレス発散の場として有効?
  • 僕(私)と同じような人は、毎日どれくらいの時間を使っているのだろう?

仮に2つ目の疑問について、自分なりに深掘りするケースはどうでしょう。

逆にSNS以外で疲れているからこそ、SNSは癒しの場、ストレス発散の場として有効?

この疑問を深掘りした結果、その答えが次のような場合、最初の内容から大きく発展されたものになっているはずです。

たしかにSNSで動物の写真を見ていると癒されるし、ハッする言葉に出会えることもあるから、僕(私)にとって、SNSはなくてはならないもの。

でも、時間を使いすぎなので、疲れている時以外は、使用する時間を1日1時間以内までにしよう。

このようなことを考えた場合でも、インターネットに投稿する義務や必要はありません。その後に、ブログやSNSにアウトプットする(投稿する)かを検討しても遅くありません。

発信をしないで「自分なりのメモに留めておく」場合は、それはそれであなたの財産になるでしょう。なぜなら、情報自体に価値があるのではなく、情報をどう受け取り、情報をどのように使うのかによって、その価値が変わるからです。

逆にインターネットに投稿する場合はどうでしょうか。情報を受けとったまま発信した投稿と比べて、あなたなりの分析や深掘りが加えられた「オリジナリティがある」投稿に近づくのではないでしょうか。

【提案】まずはメモの内容を深めることを第一にして、投稿するかは後から考えよう

というわけで、自戒を込めて提案です。

アウトプット目的でブログやSNSに投稿する場合、「まずはメモの内容を深めることを第一にする」というのはどうでしょうか。

たしかに、メモの深掘りや展開によって、考えが発散してしまうこともあるでしょう。

また、「深掘りしたけど、こりゃあ、発信するのはまずいな」「本音が分かったから、この内容は恥ずかしくて発信なんて嫌」などと思い、投稿しない場合もあるでしょう。このような時には、考えた時間が無駄に感じるかもしれません。

でも、インターネットに発信された情報だけが、価値があるというわけではありません。外の世界に発信しなくても、あなた自身が考えたことや感じたこと、深掘りしたことそのものにも価値があります。

今は役に立たなくても、ある時には問題解決のヒントとなり、またある時には何かを変えるアイデアになるかもしれません。

もちろん、考えた上で、いつもインターネットに投稿することになったのであれば、それは大いにありでしょう。

まずは、選択肢の一つとして「投稿すべきという義務感を捨てて考えてみる」ことを、自戒を込めて提案します。

【例外】認知度アップ目的など、別の用途がある場合

最後に、例外パターンを説明しておわりにします。

僕は今回「義務感を感じながら投稿するのであれば、一度投稿するかは別で考えてみよう」と主張しました。

でも、その例外パターンはあります。それは、発信の目的がビジネス用途の場合です。

ビジネスにもよりますが、お店の集客や商品の認知度向上を目指す発信では、どうしても義務感が必要です。なぜなら、ビジネスは企業利益の最大化を目指す活動が大前提だからです。

例えば、あなたが企業の広報担当であるのに、「今日は気分が乗らないから発信したくない」と言ってしまったら、単なる給料泥棒になってしまいます。

このように、ビジネス用途で発信する場合は、発信者の学びが深まるかどうかは、あまり関係ありません。単純にその発信によって、目的が満たせるかで判断すべきです(読者の反応、行動など)。

そのため、今回の僕の主張は、あくまで個人が考えを深めることや、新しいアイデアを練る場合のケースとお考えいただければ幸いです。

追記:例外パターンは他にもありました。情報をどんどん発信しながら思考を深めていくパターンです。

Twitterでいえば、一つの投稿で終わるのではなく、何度も続けて投稿していくパターンです。これはこれで、自分の考える過程を見せるという意味で、価値はあると思います。

参考:けんすうさんのnoteでの記事
「プロセス・エコノミー」が来そうな予感です

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